燃えぬごみの日記

ちょー不定期です。書きたいときは書きます。

BORDERと沈黙

こんばんは。

 

この前、と言うか時々思い出すのですが、

古川日出男さんの沈黙という小説があまりにも面白いのです。

そして、まだ読んでない嫁に進めてたら面白がってくれたのと、

ちょうどこの前最終回を迎えたBORDERの話が少しリンクしたので

書いてみることにします。

 

沈黙/アビシニアン (角川文庫)

沈黙/アビシニアン (角川文庫)

 

あらゆる声と言語を操った、鹿爾。数千枚のレコードを残した修一郎。二人の血を引くあたし。(「沈黙」)

祖母の家の地下室で見つかった数千枚のレコードと十一冊のノート。記されていたのは、十七世紀アフリカに始まるある楽曲の、壮大な歴史。薫子は、運命に翻弄され世界を巡ったこの楽曲と、それを採取した風変わりな祖先の来歴を辿り始めるが―(「沈黙」)。

 

 本の紹介を載せてみたけど、こりゃなんのこっちゃって感じですね。

正直な話、この小説を説明するにはもちろん短すぎるし、ましてや話の階層が

3重になっている話をまとめるなんてそりゃ不可能な話ですから、これはこれで

致し方無いとも言えますけどね。

 

まあ、そんな紹介文の感想文なんてどうでもいいですよ。

 

一人の女の子が主人公です。

普通な女の子なんですが、いつもどおりというか、

古川日出男が書く少女はどんな少女より女の子なんです。

 

もうこのおっさんは少女なのかというくらいに。

 

話は戻りまして、彼女は母親から、すこし複雑な、おばあちゃんの遺品を

取りに行ってもらうようにお願いされます。その遺品からいくつかの手紙を見つけ

ほんの小さな興味でその手紙の送り主に会いに行くのです。

 

こうやって書くと、こんな場面から始まるかと思うかもしれませんが、

全く予想を裏切るような始まりです。

それは、これから始まる対決を見るのかと試すような始まりです。

とてもとっつきにくくて、容易に振り落とされそうになるのですが、

是非それを超えて読み進めてもらいたいです。

 

それでは今日のもう一つの作品です。

 

小栗旬主演のドラマ、ボーダーが衝撃的なラストで幕を閉じましたが、

小栗旬扮する刑事の石川と、沈黙の主人公である薫子、この二人の

対決について妻といろいろ話したことも踏まえて考えていきます。

 

 

BORDERの説明もしておかなくてはなりません。

 

BORDERは、GOやフライ・ダディ・フライなどの小説、

また、昨今はSPの脚本を手がけたことで有名な金城一紀さんが

脚本を手がけております。

 

BORDER (角川文庫)

BORDER (角川文庫)

 

 ちなみに、小説版とドラマ版は話が異なるようです。

設定は同じなので、以下引用します。

捜査中、頭に銃弾を受け生死の境を彷徨った警視庁捜査一課の刑事・石川安吾。奇跡的に覚醒した石川は「死者と対話ができる」という特殊能力を身に付けていた。都内の高架下トンネル内で起きた不審な惨殺事件。被害者の男は全身を刺されていた。現場に駆けつけた石川は横たわる遺体に語りかける。「あなたを殺したのは誰ですか」―。金城一紀原案の設定に気鋭の作家が完全オリジナルプロットで描く警察サスペンスミステリ! 

 

 説明の通り、石川には事件で死んだ死者が見えるという特殊能力があるのです。

 

そして、それはただの事件としての客観性を超え、とても抱えきれない

感情となって、石川を翻弄するのです。

 

 

ではでは、とりあえず説明はこれまでにして、

最終回を見終え、沈黙を読み終わった嫁と話しをして考えたことを書いていきます。

 

ちなみにこれ以降はネタバレになります。

 

 

それでは行きましょう。

今回考えたのは、覚悟ということに関してです。

 

BORDERの石川刑事は幾多の事件で犯人と対決していきます。

しかし、それらの事件はすべて回答のわかっている数式のごとく、

終点までの過程を埋めていけば良く、そこに推理などというものは

あまり入り込んではきません。

これは、これまでのいろいろな刑事物の中で私は見たことがありませんでした。

(きっとこの世にはあるのかと思います。無知ですみません。)

例えば刑事コロンボ古畑任三郎は、視聴者に対して犯人を明かし、

その犯人と刑事の駆け引きを楽しむというスタイルですし、

一般的なミステリだと、犯人はわからず容疑者がいてそれを主人公目線で

一緒に解いていくというものが多数かと思われます。

 

そう考えると、やはり特異だなと。

 

もしかしたら、刑事ドラマという枠組みで見ている事自体間違っているのでは?

と考えたわけです。

 

そう考えると、このドラマは石川刑事の、いい意味でも悪い意味でも、

成長譚ということになりそうです。

 

この特殊能力を身につけてしまったことへの苦悩、身につけたことでの優位点、

知らなくてもいい事情などが全て彼の上にのしかかっていくのです。

 

そして、それらを受け止め覚悟するというところへ来るにはあまりに短い時間で、

強大な悪というものに出会ってしまいます。

 

犯人は作中で、

自分は究極の悪である。そして、君(石川刑事)は中途半端な正義である。

それは、他人を殺せるかどうかというたった一点。そしてとても大きな

一点により途轍なく大きな差なのだ。

というようなことを述べていました。

 

もちろん、石川刑事は刑事である以上、警察として治安を守るためという

枠組みの中で活動をせざるを得ません。

対して犯人は、大抵の場合他者の命を奪い、それをうまく隠蔽しようとします。

ですが、どこにでも穴があり、それが露見してあえなく捕まってしまう、

という勧善懲悪なものがスタンダードだと言えます。

 

ですが、今回の自分を究極の悪と信じて疑わない犯人はとても狡猾で

思慮深く慎重に悪事を働くため、なかなか尻尾がつかめません。

そして、ついぞ犯人を追い詰めることができないと思い知らされた時に

犯人は先程の究極の悪と中途半端な正義について石川に言うのです。

 

それは、マンションの屋上で犯人に何とか罪を認めさせて自首をさせようと

落とすふりをして脅しているところでした。

 

この犯人を止めるのは自分には不可能なのだと悟ったのか、犯人を引っ張りあげ

脅しをやめようとします。

ですが、次の瞬間、また犯人の襟を掴んで落とすような動作をし、

本当に落としてしまうのです。

 

そして、落ちた犯人がおそらく即死したであろう姿を確認し狼狽します。

そして、死者となった犯人が石川の肩に手を掛け一言かけるのです。

「こちらの世界へようこそ」と。

 

 

これを見ていて感じたのは、そちらの世界とはどこか。

究極の悪に対して、究極の正義になったということか。

正義の為に命を奪ったから、究極の正義になったのか。

 

いや、違います。

危うく犯人の言葉に騙されそうになってましたが、命を奪ったという時点で悪。

そして犯人がしたかったのは、この正義というものはいかに脆く悪に落ちてしまう

ということを石川へ突きつけたかったのではないかと。

結局悪と正義に究極も中途半端もなく、それに踊らされ、

石川は悪の道へ落ちてしまったのでした、ということではないかと。

 

対して、沈黙の薫子です。

沈黙内では正義や悪ではなく、闇として敵を捉えています。

それが薫子の弟である燥(やける)です。

彼は人の心に入り込み、闇で魅了して行きます。

その闇に魅せられた者達は一様に自身が闇へと落ちていくのです。

(一様にと言いましたが一人だけ耐えた人がいました。)

 

燥がある時失踪して、その後姉である薫子は普通に暮らしていきます。

しかし、その普通に暮らしている何年もの歳月が彼女の中の自覚のない覚悟を

固めていきます。

 

そして、冒頭の祖母の遺品を引き取る際に見つけた手紙が引き金となり、

運命が回り始め、対決するための力を身につけ闇と対峙していくのです。

 

ラストシーンは、都会の大雪のシーンです。

燥が寄生している女の経営してるカフェに薫子が乗り込みます。

 

そこで燥と対決するのです。

 

とても静かな対決なのですが、薫子の意思はとても強く、それは覚悟そのものです。

 

そして、薫子は勝利するのです。その勝利は歓喜するものではなく、

ましてや悪を倒したヒーローのそれでもありません。

 

それは悪になって悪を倒す以外方法がなく、そしてその悪を倒すためなら

自身が悪になっても構わない、いや、悪にならなければならないという覚悟が、

深々と降り積もる雪の中にそっと終わったという感じです。

 

ここで思うのが、やはり両者の覚悟の違いです。

石川は正義の為に悪になる覚悟もなく、そして衝動で一線を超えてしまい

短絡的な殺人者となってしまったのです。

対して薫子は、正義のためなどではなく、悪を止めるために悪になるという

覚悟の上、ことを成し遂げたのです。

 

全く別の作品でしたが、善悪や覚悟についてなんだか似たような匂いがしたので

こんな感じのことを嫁と考えてみました。

 

ちなみに、嫁の考えは死刑制度など、人が人に対して死を持って償わせる、

死刑制度などについてのアンチテーゼ的な意味合いがあると言っていて、

そんな考えもあるのかと面白く思いました。

 

面白い作品というのは色々と考えさせてくれて、色んな意味で面白いなと。

 

そんなお話でした。